当研究室の概要.
ロボット研究における背景.
他の工学分野に比べ,ロボット工学(厳密にはロボット工学という分野はないが)の発展の歴史は特異である.他の工学分野では,求められるもの・目標物というものがリアリティをもってイメージされ,その実現に向けて研究・開発が行われるのが一般的である.そこにあるのは,適度な未来のイメージと実現化を目指す努力との二人三脚である.
それに対してロボットを扱う世界では,長らく戯曲・小説・アニメ・ゲームなどフィクションの世界で描かれた"ロボット"のイメージの発展があり,対してロボットの実現化を支える科学技術の遅れがあった.これによりロボット工学における最終目標のもととなるイメージがはるか先の未来を指していると共に,目標となる"ロボット像"が人によって大きく異なるという事態を引き起こしている.このような事態はロボット工学の発展における適切なマイルストーンの設定を困難にさせる共に,各研究者個人レベルにおいても同様の問題を起し,自身の目標やスタンスを見失いやすくしているように感じる.
そこで重要となるのが背景である.
背景は単なる歴史ではなく,過去の人たちがロボットをどのように見たのか,どのように願い,発展させたのかを表すものであり,現在より先に何をみるかの重要な手掛かりを与えてくれる.現在行われている研究の背後には,それを産むもととなった研究群があり,先祖ともいえる各研究の目標・スタンスを読み取ることで全体としての共通の目標・スタンスが見えてくる.
研究の流れを植物の根に例えると,現在という時間で様々な研究を見渡すことは,ある地中の深さという断面で様々な根の切り口を見渡すことである.各々の根の切り口は種(であった部分)という一点から産まれ様々な場所へ広がっていく.ある根を選び,種から切り口までを見ることで,その根がどのような方向に伸びようとしているかを想像することができる.同じように,過去の研究から現在の研究までの背景を見ることで,自分達がどのような方向に伸びようとしているかをみることができると考えている.
当研究室では,
という切り口でロボット研究の背景を考えていく.
カレル・チャペックが戯曲「R.U.R」の中で,単純労働を行う自動機械として「ロボット」という言葉を使って以来,小説・漫画・アニメなどフィクションの世界で多種多様なロボットが創造/想像されてきた.その後,技術の発展に伴って実際の「ロボット」が造れるようになったが,フィクションのイメージが先行しすぎたために様々な面で実際のロボットのイメージとの間でギャップが生じることとなっている.曰く,「ロボットとは何か?」「なんのためのロボットか?」「ロボットに必要な機能とは?」 フィクションにはフィクションのロボット像があり,リアルにはリアルのロボット像がある.どのようにフィクションから影響を受けているのか,フィクションのロボット像に流されず自分のロボット像は何か,社会に受け入れられるロボット像とはどんなものかを考えながら研究を行っていく必要がある.
実社会の中では様々な機械が用いられている.その中でも特に「動く」機械は,人間の代わりに仕事をしてくれたり,人間には本来不可能な仕事を行ってくれることで,労働補助を行ってくれる.例えば,掃除や洗濯から車・電車を使った高速/遠距離移動,クレーンやユンボを用いた大規模工事などまでである.技術が進歩し,機械が高性能になればなるほど,より複雑でより汎用的な仕事ができる機械が登場してきている.しかし,当然それを扱うための技量が必要となってくる.
そこで,操作方法まで人間のアシストをしてくれて,より簡単に,より便利に使えるような機械が求められている.いわば,力・操作の補助から知・情報操作の補助である.特に人間にとって扱いやすい・接しやすい対象とは,人間と同種の知能を持ったものである.そこで知・情報操作の補助として必要となる機能は何かを考え,研究を行っていく必要がある.
人間とは何か?人間が持つとされている「知能」とは一体何か?そこに興味を持ち,それを知りたいと思うところから「知能ロボットの研究」は始まる.人間のあなたには人間の知能があるが,一般的な人間の知能というよりも,人間という範疇にあるあなた独自の知能がある,といってよい.そのあなた固有の知能はあなたの成長過程において様々な他との触れ合いから形成されたものである.重要となる「他との触れ合い」および「それによる自己の形成の仕方」は,自身の身体が存在しなければいけない.その身体として「ロボット」という機械の身体を考え,その身体を用いて「他との触れ合い」をもとに知能の成長を考えて行う研究である.